パパ・タラフマラ 30年のあゆみ
パパ・タラフマラは1982年に結成されて以降、約30年間、再演や改訂を含めず、大まかに数えて約50作品を上演している。その作品は時代によって急速に、多様な変化を遂げている。そのため、ここでは作・演出の小池が行った時代分けを参考にしつつ、グループの歴史と作品の変遷をまとめる。
作品と演者の全てを濃密な言葉と密閉された空間に展開した時期
第2期(1985年 - 1986年)
言葉の減少と広い空間の中で作品と演者に与えてきた全ての規制をとりはらった時期
第3期(1987年 - 1988年)
柔らかな空気感と清新な空気からなる作品を作った時期
第4期(1989年 - 1991年)
環境と身体からの発想による表現を模索した時期
第5期(1992年 - 1995年)
ダンスに近い身体言語を作品の中に取り入れ、大掛かりな舞台などの外的要素から作品を作った時期
第6期(1996年 - 1998年)
ヴォイス表現、ダンス表現、そして環境の三つの要素を一体化させた時期
第7期(1999年 - 2001年)
社会的側面に焦点をあて、20世紀から21世紀への転換期を意識して作品を制作している時期
第8期(2002年 - 2005年)
『HEART of GOLD―百年の孤独』に向かって、今までの表現を集約し、舞台芸術としか言いようのない舞台芸術創作に向かった時期
第1期(1982年 - 1984年)
第1期(1982年 - 1984年)
作品と演者の全てを濃密な言葉と密閉された空間に展開した時期
「タラフマラ劇場」として出発した最初期の作品は、『壊れもののために』(1982年)、『喰ふ女』(1983年)など、狭く密閉された空間において、膨大な台詞が暴力的なほどの勢いで語られる。猥雑かつ滑稽なドラマは、寺山修司や黒テントなど1960年代後半からの小劇場ブームやアングラ演劇の系譜上に位置づけられるだろう。劇団として駆け出しであり、雑誌等での評価も少ない時期だが、「アングラ第二世代」として期待を寄せてられていた。
「タイポー5400秒の生涯」 初演 1983年11月 アートシアター新宿 公演写真
第2期(1985年 - 1986年)
第2期(1985年 - 1986年)
言葉の減少と広い空間の中で作品と演者に与えてきた全ての規制をとりはらった時期
タラフマラ劇場の作品は第8作『マリー 青の中で』(1985年)以降、急激に台詞は減少し、パントマイムのような動作や、歩く、走るなど日常的動作を基にした身体表現が用いられるようになる。舞台も、狂騒的な空間から整合性のとれたシンプルなものへ移行していった。『MONK』(1986年)では、九條今日子によりピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団を想起させる「トータル・シアターの誕生」であると賞された。
「monk」 初演 1986年10月 転形劇場T2スタジオ
第3期(1987年 - 1988年)
第3期(1987年 - 1988年)
柔らかな空気感と清新な空気からなる作品を作った時期
「タラフマラ劇場」から「パパ・タラフマラ」へ改称。改称の意図は、「劇場」という言葉が、「演劇」という枠組みを示すものであったからであり、「演劇」というイメージを脱却するためであったと推察される。実際に、『熱の風景』(1987年)、『アレッホ』(1987年)、『海の動物園』(1988年)といった第3期の作品は、音楽、美術、照明の空間的要素に力を入れ、台詞をほとんど廃し、インスタレーション的空間の中に演者もオブジェのように配されるスタイルとなる。
「いっさいの表象性、意味性を消去した独自の自由な表現の模索」として「ポストモダンの演劇」であると評価する者や、文学的要素を廃するのはこの時代の世界的な潮流であったことから、「パパ・タラフマラの舞台は可能性に満ちている」と評されるなど、この時期から雑誌等での注目が高まり始める。
「熱の風景」 初演 1987年5月 吉祥寺バウスシアター
第4期(1989年 - 1991年)
第4期(1989年 - 1991年)
環境と身体からの発想による表現を模索した時期
『パレード』(1989年)をきっかけに、パパ・タラフマラは国際的な評価を得始める。同作品は紡錘形の白いオブジェが林立する印象的な空間において、人間の営み、エネルギーの動きを「文明のパレード」として表現したもので、1992年にはダンス的要素を多く取り入れた『1992パレード』として上演された。
同じく第4期の『ストーン・エイジ』(1991年)も、『パレート』と同様に洗練されたオブジェによる空間構成による作品である。しかしながらこの作品に対しては「欧米のパフォーマンスにとりあえず似ている」とし、安易な「ボーダーレス」の標榜とオリジナリティの欠乏があるという厳しい見解を示した評も見られる。
この時期の重要な点は、白井さち子や山崎広太らバレエやモダン・ダンスに基盤を持つメンバーの参加により、ダンス的要素が本格的に導入されたことと、小川摩利子らによって独特のヴォイス表現が確立されたことである。また、インスタレーション『風のながれる空間』(1989年12月、セゾン美術館)など舞台以外にも表現の幅を広げた。
「パレード」初演 1989年8月 利賀国際演劇フェスティバル
「STONE AGE」初演 1991年3月SPACE ZERO
第5期(1992年 - 1995年)
第5期(1992年 - 1995年)
ダンスに近い身体言語を作品の中に取り入れ、大掛かりな舞台などの外的要素から作品を作った時期
この時期の作品『ブッシュ・オブ・ゴースト』(1992年)、『青』(1994年)、『城―マクベス』(1995年)は、回転する装置や巨大な塔など、いずれも大掛かりなスペクタクル性のある舞台装置が特徴的な、スケールの大きな作品である。舞踊評論家の伊藤順二は『青』について「霊的なものと物的なもの、身体と宇宙、具象と抽象、といった対立、もしくは並列的概念の思想的統一、様式の壁を撃破する肉体の開放とその洗練、という点において世界のトップ・レベルにあるパフォーマンスだったといっても過言ではない」と評価したが、この評価はこの時期のパパ・タラフマラの作風を端的に示している。
第6期(1996年 - 1998年)
第6期(1996年 - 1998年)
ヴォイス表現、ダンス表現、そして環境の三つの要素を一体化させた時期
この時期から、海外公演という形だけでなくコラボレーションという形で、パパ・タラフマラは国際的な創作活動に舵を切った。その最初が香港のアート集団ズニ・アイコサヒドロンとの合作による『草迷宮』(1996年)である。これ以降、パフォーマーのみならず、美術、映像、音楽に多くの海外アーティストを招くようになった(ゲスト・パフォーマー、主なコラボレーション・アーティストの項参照)。
『船を見る』(1997年)は、それまで模索してきたダンス、ヴォイス、空間の要素が融合し、演出の小池博史も「自分のめざしていたレベルに達したと思った」と語った[12]、パパ・タラフマラの代表作の一つである。2002年、新演出の『SHIP IN A VIEW』がヴェネツィア・ビエンナーレの招待作品として上演されたほか、南米、アジア、北米など世界各地で公演されている。同作品は海外でも高く評価され、イタリアの『ガッゼッティーノ』紙では「振付家の小池博史は、飛び抜けた発想で東洋的なものと西洋的なものとを組み合わせ、視覚的にも感情的にも衝撃的な、独自の言語を創造していることが伺えた」[13]と評された。
1997年から始まる「島」シリーズは、リュウ・ソーラ、インゴ・ギュンターといった海外アーティストを音楽、映像に起用し、4作まで作られたのち、『Love Letter』として大作『WD』(2001年)の第2章に組み込まれた。第3期以降、台詞の使用は長らく途絶えていたが、『島―Island』の頃から再び作品に用いられるようになった。
「船を見る」初演 1997年4月 東京 銀座セゾン劇場
「島〜ISLAND」 初演 1997年 国立芸術学院フェスティバルシアター(台北)
第7期(1999年 - 2001年)
第7期(1999年 - 2001年)
社会的側面に焦点をあて、20世紀から21世紀への転換期を意識して作品を制作している時期
『WD』(2001年)は全4章、上演約3時間の作品であり、「What have we done? われわれは何をしてきたか」をテーマに、戦争や人種差別など社会的問題をストレートに表現している。各4章はそれぞれ「I was Born」「Love Letter」「So What?」「The Sound of Future SYNC.」と題され、約2年かけて章ごとに制作、公演していくワーク・イン・プログレスという手法が取られた。韓国、マレーシア、アメリカ出身のパフォーマーを出演させ、各章のワーク・イン・プログレス公演も海外で行われている。音楽の面でも、それまでは菅谷昌弘によるミニマル・ミュージックが多かったが、リュウ・ソーラ(劉索拉)、中川俊郎、種子田郷らを加え、ブラスバンドやオーケストラ等の新たな取り組みを行った。
「WD-What have we Done?」 初演 2001年12月 世田谷パブリックシアター
第8期(2002年 - 2005年)
第8期(2002年 - 2005年)
『HEART of GOLD―百年の孤独』に向かって、今までの表現を集約し、舞台芸術としか言いようのない舞台芸術創作に向かった時期
小池は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を上演することがパパ・タラフマラ創設時からの目標の一つであったと述べている[14] 。ある一族の誕生・繁栄・終末までを描いた『HEART of GOLD―百年の孤独』(2005年)は、結成から二十数年間の活動の一つの集大成として、ブラジル、アメリカ、日本など各国のパフォーマーとアーティストと共に制作された。「新たな身体言語、身体表現のさらなる進化・拡張を目指す刺激的な舞台」と評価されている[15]。
また、チェーホフ原作の『三人姉妹』(2005年)は、出演者が3人という小規模な作品ながら、出演者(白井さち子、あらた真生、関口満紀枝)のコミカルかつコケティッシュな表現で人気を博し、日本のみならずヨーロッパや南米などで公演された。
「Birds on Board」 初演 2002年5月 つくばカピオホール
「三人姉妹」 初演 2005年1月 メゾン・ドゥ・ラ・カルチャー フロントナック劇場(モントリオール)
第9期(2006年以降)
第9期(2006年以降)
『パパ・タラフマラの「シンデレラ」』(2006年)、『トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡』(2007年)、『ガリバー&スウィフト―作家ジョナサン・スウィフトの猫・料理法―』(2008年)などの作品があるが、アート性を保ちつつ、『三人姉妹』などで見せたコミカルさとユーモアを追求したものとなっている。『ガリバー&スウィフト』では、現代美術作家として国際的に活躍するヤノベケンジが舞台美術を制作した。
トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡 初演 2007年10月 アサヒ・アートスクエア